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18941213 NO1164 崔文汝の逮捕指示について

18941213 NO1164 崔文汝の逮捕指示について

http://db.history.go.kr/item/level.do?sort=levelId&dir=ASC&start=1&limit=20&page=1&setId=-1&prevPage=0&prevLimit=&itemId=jh&types=&synonym=off&chinessChar=on&levelId=jh_003_0070_1850_0010&position=-1

駐韓日本公使館記録 3巻 七. 和文電報往復拱 (185) [大院君の密命を受けた崔文汝の件 及び 大邱判官 池錫永 留任の件] 1) [大院君の密命を受けた崔文汝の件 及び 大邱判官 池錫永 留任の件] 1

( 1894年 12月 13日 )

1) [大院君の密命を受けた崔文汝の件 及び 大邱判官 池錫永 留任の件] 1

同十三日 午後七時三十分 接

午後五時二十分 釜山発

井上 公使(宛)

加藤

別報の崔文汝(  チェムニョ)については当地司令官と協議の上大邱(テグ)等の兵站部へ密報して同人を捕え書類等を差し押さえるよう指示して置いた。

尚州(サンジュ)牧使・尹泰ぐん(ユンテグン)、善山(ソンサン)府使・いんうしよく(ユンーー)は共に閔党(*閔氏派)で、十七年変乱(*)の際朴泳孝等に殺されたものの近親というのでひょっとすると彼等も関係があるかもしれず、そこで当方では充分密かに手を尽くす予定。

*尚州(現・慶尚北道西部内陸地帯)

*善山(現・慶尚北道亀尾市善山邑)

渋沢栄一伝記資料「第25巻 p.642-644(DK250063k)

明治17年(1884年)

十六年初夏、朝鮮ヨリ金玉均外債募集ニ就イテ来邦セシモ成ラズ、栄一借款ニ応ゼントシタル如キモマタ成ラズシテ是年初メ帰国セリ。年末ニ至リ京城変乱アリ、金ハ本邦ニ亡命ス。栄一諭スニ天津ニ行キ李鴻章ニ頼ルベキヲ以テセシモ応ゼズ。金玉均ハ在留十年ノ後、上海ニ去ル。」

*明治十七年変乱

http://f48.aaacafe.ne.jp/~adsawada/siryou/060/resi040.html

*崔文汝の義兵召集は大院君の指示か(再)

http://db.history.go.kr/item/level.do?levelId=jh_002_0020_0270

駐韓日本公使館記 2巻 二. 京城釜山仁川元山機密来信 (27) 池錫永転任ノ件竝ニ崔文汝義兵ト稱シ民兵嘯集等ノ件ニ付具申

文書題目 (27) 池錫永転任ノ件竝ニ崔文汝義兵ト稱シ民兵嘯集等ノ件ニ付具申

文書番号 機密第参四号

発信日 明治二十七年十二月十四日 ( 1894年 12月14日 )

発信者 在釜山 総領事代理 加藤?雄

受信者 特命全権公使 伯爵 井上馨

(27) 池錫永転任の件、ならびに崔文汝が義兵と称し民兵召集等の件について具申

機密第参四号

大邱判官(中央から派遣された官員の一つ)・池錫永(チソギョン)はかつて討捕使として晋州地方へ出張し我が軍とともに東徒撃退に従事し数日前にようやく大邱(テグ)へ帰任したものであるが、この度新たに晋州(チンジュ)牧使へ転任し至急赴任の命令を受けたとのこと。

ところが同人は多少開進的思想をもっており我が軍隊などのためにはすこぶる有益な人物であるが、監司・趙秉鎬はこれに反し頑固な大院君党の一人で、かつその近親だと言い(秉鎬の妻は大院君の娘だという)、常々我々の軍隊に対して極めて冷淡だとのことです。

そこでこの池錫永の転任も結局監司・趙秉鎬が彼を遠ざけるための策であるようで、我が軍隊のためには不利益が少なくないところで、また本人も留任を希望しているとのことで、なるべくはこの転任とならずにすむよう御取計らいいただくよう昨日電報で申請したところです。

また数日前大邱府近・旁蛛洞(*不明)の豪士・徐相龍という人物に面会しましたところ、同人は慶尚道中で最も富豪の評判のあるものでかつて試験を受けて文科注書の位を得たものである。もともと時勢には通じていないところがあったが、憂国の情に厚く同人の発言には多少信頼できるところがあると存じます。

さて同人の話によると、先日来清道(チョンド *大邱と密陽の中間)羅谷の崔先達(崔文汝)と称する者が尚州(サンジュ *大邱の北、聞慶の南)で大院君の命令と唱えて民兵を募集しているとのこと、その目的は東徒征伐のためと言う事ですが、その実日本排斥の意味があるかも知れず、崔文汝は徐相龍に対して金穀の支給を求めたとのこと。

ところが徐はこれを拒絶したところ、このためかどうかはっきりしませんが、大邱監司から急に徐を捕えようとし、徐は家族を引き連れて逃走したがその家や財等はすべて略奪され、またその所有の田畑など(風によれはおよそ二十万石もあるだろうという)もすべて没収される恐れがあるとのことです。

また徐は深く池錫永を信じており、万一逃れ難き場合には彼に身を投じてその保護を受けようと考えていたとのことですが、この度急に転任の報に接し、最早大邱は大院君党の手に落ちたと言って痛く落胆しているとのことです。

まおまた同人はもし崔文汝の挙動を十分偵察したならば大院君と地方の東学徒との関係も必す明白になるだろうと申しています。

以上は徐相龍の直話ですが、ちょうど二三日前に当地兵站司令官のもとへも尚州・善山(ソンサン *尚州と亀尾の中間)などには、各村から民兵を募り東徒に備えるためだと言って訓練をしているとの電報があり (なお最近報によれば募集に応じた者がおよそ八・九百名、うち銃器を携帯するものが三、四百名あるとのこと)、徐相龍の話と附合しています。

しかしながらこれらが思っていた通り我が国に反抗する目的からでたものならばあるいはその地の地方官等もこれに関係があるかも知れません。なぜかと言うと尚州牧使・尹泰元(近頃尹泰元は他の地に転任したかとの風聞もありますが確かではない)は閔氏の親族で十七年変乱*の際革命党に殺された某氏の従弟であるといい、また善山府使・尹雨植もこ某氏の実子であるとのこと。そうするとあるいは彼等も陰謀に参画しているかもしれないので、当地司令官と協議の上大邱その他の兵站部へ密報し、崔文汝の動きを調べてやはり怪しむべきものであればその連累者をともに捕縛し一切の書類など押收するよう取り計らいます。以上とりあえず報告いたします。

明治二十七年十二月十四日

在釜山 総領事代理 加藤?雄印

特命全権公使 伯爵 井上馨 殿